ご縁をいただき修理させていただいた神社の竣工慶賀祭にお招きいただきました。
後日届けて下さった記念品の中に集合写真がありました。
工事の記念にこうした品々をいただくことは、その時々のいろんな思いや出来事を改めて心に刻むことが出来、一つの形が完成した喜びと、同時にこれからこの場所に集う人々が織りなす未来にも、大きな喜びを感じることができます。
今回の修理工事には、もう一つ感慨深いことがありました。
この神社はおよそ80年前、老朽化に伴い建て替えられたものでした。
造営当時、神社やそこに暮らす人々の永劫の繁栄を祈り、拝殿の棟木に掲げられた「棟札」が、工事中に屋根裏から発見されました。
「棟札」には、筆者が宮大工として今日有る、「道」の上での曽祖父にあたる大棟梁の名前が、設計棟梁として大きく記されていました。
また、社殿の中には、筆者が写った記念写真と同じように、曽祖父が写った当時の集合写真が掲げられています。
道(宮大工としての)の上での親(師)の親(師)の更に親(師)です。
血の繋がりはありませんし、もちろん筆者が生まれるより、ずーっと昔に生きた人なのでお目にかかったこともありません。
それでも、どういうご縁であったか、平成の修理に際してご先祖様に出会うことが出来たということが、なんだか親の懐に入って、温かいものに抱かれながらお仕事をさせていただいたようでした。
筆者が思う宮大工の仕事は、言葉で教えられたことがそのまま身につき実現できる、というほど簡単ではありませんが、一方では、こうして数十年数百年という時間を経ても、仕事(モノ)を通じて確実に過去と未来のコミュニケーションが成立できる、というところは仕事の面白さの一つと言えるでしょう。